2016ヒマラヤ・チュルー最東峰


4月23日待望の出発日を迎える。ヒマラヤへ行くと決めてから2年の月日でした。関空初24日0時30分、バンコク経由でカトマンズへ。合計搭乗時間は9時間30分、乗継時間は6時間。長旅の末カトマンズの空港が近づく、機上のモニターが目標の山と同じ約6000mの高度になった時に飛行機の窓より外を眺める、信じられない程の高さだ。
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カトマンズ盆地に今まで見た町とは違った特有の建物、街が広がっているのが見える。とうとう憧れたネパールへ到着する。不安と期待が入り交じる。
ビザの申請、入国審査を受け空港の外へ。多くの現地人に紛れエージェントがプラカードを持って待っていてくれた。荷物を渡すと高級な4WDのトランクまで運んでくれた。その後強引なチップの請求、仲間だと思ったグループの内3,4名はチップ目的の運び屋だったと後に気づくことになる。
そのままその車に乗ったものの自分が依頼していたエージェントなのか不安でならない。空港で強引に旅行会社を斡旋し高額な料金を請求してくるという事前情報もあった為車には乗ったものの落ち着かない。
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お願いしていたホテルとは別なホテルに到着する。不安がよぎる。受付でなにやら長話し、どうなっているんだろう。私達の予約は入ってなかったようで、依頼していたFUJIホテルへ向かう。
日本語が通じるこのホテルをあえて選んでいたのでホテルへ到着しやっと一安心。オーナーが日本語で何か困ったことがあったら電話して下さいと名刺を渡してくれました。エージェントも間違っていなかったようでホッとしました。
このあとガイドのテンバ・シェルパさんから明日の説明を受け商店の並ぶタメル地区を案内してくれた。
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夕食はアンナプルナレストランでダルバートを頂いた。想像してたより美味しかった。
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翌日チャーターしてくれたマイクロバスにて砂煙と排ガスとホーンの鳴り響くカトマンズをアンナプルナ方面へと移動する。大量の車、バイク、人が道路に溢れる。抜きつ抜かれつデッドヒート。永遠とホーンが鳴り響く。信号のないこの街に交通ルールすらあるのかわからないがギリギリの車間距離で皆巧みに運転していた。
カトマンズを抜けるとクルマの量は減りスピードにのるがデッドヒートは相変わらず。
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ヒヤヒヤしながらもだんだん慣れてくるもので眠くなってきて少し仮眠する。途中路肩に車を止められる日本で言うパーキングの用な場所でダルバートを頂き15時30分にはアンナプルナサーキットの玄関口ベシサハールという大きな街へ到着。
ここでジープに乗り換え凸凹の未舗装の山道に入って行く。跳ねる跳ねる、手摺を持っていないと体が安定しない。
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やがて日は暮れヘッドライトの灯りを頼りに更に山奥へ。目的地のダラパニへ(1860m)着いたのは21時位であった。
この村は電気が寸断されているとのことでしたがロッジの人達はロウソクの灯りでご飯を作ってくれ、私達もロウソクの灯りとランタンでまたまたダルバートをいただく。
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翌朝ロッジの朝食を頂きいよいよチュルーへ向けてのキャラバン開始となる。本日は午前のみの行動でティマン(2750m)まで。
森の中を抜け大きな山が見える。「あの山はなんという山ですか?」同行頂いたクライミングシェルパのマチンダラさんに尋ねる。「あの山には、名前は無いね。雪が積もると山に見えるね。」
どうやらネパールでは4-5000mの岩山には名前はなく基本的に氷河のある白い山にしか名前がないようだ。
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マチンダラさんは33歳、16歳で結婚し現在14歳の子供を含め3人のお父さんとのことでした。
その後白い山が見えてきた、ラムジュン、そしてマナスル。
ティマンへ到着。ここから専属コックの料理を戴くことになる。コックのネパール料理も美味しい。
今夜はここでテント箔となる。4人ほど寝れそうなテントを二人で使用する。何とも贅沢だ。
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その日の夜からお腹の調子が悪くなる。下痢で何度か夜中に起きる。そしてこの日から永遠と下痢に苦しめられることとなる。
ネパール特有の油の使用をやめて頂き、水分を多く含んだスープ類や紅茶等の飲み物も控え、ミネラルウォーターだけを飲むようにした。
チャーメ(2670m)、ピサン(3200m)日に々に高度を上げていく。
チュルー登山の拠点の村ンガワルに向けて景色はチベットの用な山深き風景へと変貌していく。ンガワルの標高は約3700m。
ピサンからンガワルの登りで父親はペースをつかめず呼吸が荒くなり、座り込み、やがて倒れこむ。下山も頭によぎったが、長い時間の末立ち上がり一呼吸で半歩程のゆっくりとした動きでなんとかペースを掴み自力でンガワルに到着した。
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ンガワルからは目的の山チュルーが見え気分が高ぶる。
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翌日は順応日ということでンガワルに滞在。タルチョはためく近くの丘を登ることにする。呼吸法を確認しながら急な石段を登っていく。父親も呼吸法のリズムを掴んできたようでいいペースで石段を登っていた。しかし父の目標ハイキャンプ5400mには不安が残る。
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翌日チュルーへ向けての最後の村ンガワルを出発、登山活動に入っていく。本日の目的地はヤクカルカ3950m。
現地の人が馬を連れて下ってきた。テンバさんが話しかける。ヤクカルカよりBC、BCよりHCまで馬で上がる事が出来るという。15000Rsが2日分。父親は馬を使いたいと申し出る。日本でも毎週競馬に通う父はネパールでも馬と縁がありました。
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ヤクカルカでキャンプした後BCへの長い登りが始まる。チュルーのマップを見るとBCの標高は4600m程、乾燥し砂煙の舞う山道をひたすら登る。経験したことのない高度に達していく、嬉しさが溢れる。しかし4600m付近にはBCを設置出来るような場所はなく登れど登れどキャンプ地はない。結局4900mまで登り、長い長いトラバースの後少し下った4880m地点、チュルーの氷河が溶けて流れる川の脇がBC適地であった。

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ネパールの地図は日本の地図と同じような感覚で見てはいけないようだ。今日は900mの高度を一気に上がったことになる。大丈夫だろうか。
夕方以降すごい下痢、まるで水が出ているようで大も小も変わりない程だ。この時下痢の症状は高度の影響であった事に気がついた。
日が落ちても中々寝ることが出来ず寝落ちした瞬間、息が浅くなり苦しくなって目が覚める。この繰り返しで寝ることが出来ない。(ちなみに苦しくて目が覚めた時のSPO2は70)
長い夜だった、深夜になりいつの間にか朝まで寝ていた。目が覚めてむくみ等が起こっていないかあせって鏡を見て確認する。どうやら高山病の症状は出ていないようだ。馬で登った父は元気いっぱいで私とはまるでテンションが違っていた。
朝テンバさんに話しを聞いたが、ポーターの一人は高山病の症状が出て一人山を下ったとのことだった。今日はBCにて順応日、高台に一人上がり順応を促す。キャラバンで山に入った日から昼を過ぎると雲が広がり途中では一雨来ることもあった。BCではそれが雪となっていた。
高台からもどり昼からテントで休息をとろうとするが寝落ちした瞬間やはり苦しくて目が覚める。なかなか順応出来ない。このままでは消耗する一方だ。高所では寝るときだけ酸素を使うこともあるという話しを思いだしテンバさんに相談してみる。酸素ボンベの容量を確認して頂いたが寝るときに使うとすると1,2時間しかもたないだろうとの事。それでは使う意味がない。順応出来なければ明日朝には高山病の症状が出るかもしれないが、その時はそこまでだったとあきらめるしかない。かけに出ることにした。結局酸素はあきらめて自然な順応が出来るよう最善を尽くす。
湯を沸かし暖かいスポーツ飲料を作りどんどん飲む。下痢で脱水にならないように夕御飯を抜き絶食とする。とにかく体が無駄に酸素を使わないように寝袋に入り保温に努める。21時位になると体が楽になってきた。やっと心地よく寝ることが出来ていた。深夜何度もテンバさんが様子を伺いに来てくれた。
朝起きてみると充分に睡眠が取れたことで気分はスッキリ、下痢も治まっていた。ムクミもまったくない。テンバさんにそれを伝えたが信じてもらえない程の回復ぶりであった。(SPO2-86まで回復)
今日は予定通りHCまで登ることとする。順応はしたもののこの高度ではやはり動きは遅くなる。HCも思ったより遠い。到着したHCの高度は5400m。
夕方になると雲海の上に自分達のいるHCとアンナプルナⅡとⅣが浮かんでいた。ネパールへ来て最高の景色だった。
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本日は高度を500m上げただけだが寝ようとしてもBCと同じく息苦しくて起きてしまう。馬で先行してHCへ到着した父親も今日は寝苦しいと言っていた。深夜山頂へ向けて出発予定であったが、結局翌日は順応日とする事にする。食事は全てキャンセルして消化器官を休める。
天気は日に々に悪くなり夕方から深夜にかけて雪が降る。「このまま雪が氷河の上に降り積もれば一週間は登山が出来なくなる」クライミングシェルパからの話しであった。ここまで来て山頂アタック出来ないのは残念すぎる。自分が撮ったチュルーの写真を見ながら別な稜線からのアタックルートを模索する。翌日の順応日に別ルートを偵察に行こうと考えていたが、その日は朝8時には厚い雲に山が覆われやがて雪が降り出した。視界が悪く偵察は出来なかった。
また二人ポーターが高山病となり一人は下山した。
その日の夕方雪が降り積もる中アタックの時間を打合せる。自分の足では深夜0時の出発で6時位の登頂を目指したかったが暗闇ではヒドゥンクレバスが確認しづらいという事で夜が明ける頃に氷河の末端に到達するよう午前2時30分の出発を約束した。夜遅くまで雪は降り続いたが午前2時に外に出てみると空は星に覆われていた。
キャラバン開始より10日目の朝、気温は-9度であった。SPO2は75、スタート前にゼリー状飲料でエネルギーを補給し5月6日午前3時ヘッドランプの灯りを頼りに氷河の末端に向けてガレ場を登りつめる。
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5時45分氷河の末端に到着。ずっとエネルギーが枯渇している状態、ドライソーセージを半分食べる。ここからアンザイレンし氷河の上に薄く積もった雪の斜面を登っていく。氷河の上に僅か数センチ積もった雪をピッケルでかき分けると直径30~50cm程のヒドゥンクレバスがいたるところにあった。 深さのあるものもあり、低酸素状態でこのクレバスの奥深くにはまってしまったら登り返すことがはたして出来るのか、難しい状況もありえそうだ。
一週間程先行していたドイツ人のチームが設置したと思われるフィックスロープを使用させてもらい目測で傾斜45度から時には50度に達しているのではないかと思われる長い長い氷河の斜面を登り詰めていく。薄雪のお陰で完全な氷よりは登りやすい。近年は古い氷が表面に出てきて以前の状況とはどうも違うとの事だ。雪面であれば同じ傾斜でも難易度は随分と下がる。一度傾斜は緩くなるがまた強い傾斜の登りとなる。ジグザグに登る事もなくひたすら直登。標高が稼げるぶん気分的には楽だが登るスピードは全部吐いて全部吸ってを4回繰り返してやっと大き目の一歩が出る程度。エネルギーが枯渇している分呼吸をするパワーが今までより出ない。気がついたら一歩毎に見送ってくれた人達の事を思い出していた。動きが早くなるわけではないが、前に踏み出そうという力が出てくる。
気温は-12度、筋肉による発熱は望めず気温以上の寒さを感じる。やっとの思いで傾斜がやや緩くなる辺りまで登りつめる。ここでフィックスロープは途絶えており目の前には底の見えない程のクレバスが山の上部と下部を二分していた。亀裂の幅は1mに満たないがこの僅かな距離をどう考えても安全に越える発想が浮かんでこない。
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このクレバスは2015年のネパール大地震の影響により出来たのかもしれない。クレバスの向こうには切り立った氷河がまるで壁のように立ちはだかる。その壁を越えればやがて山頂へ向かう緩やかな稜線となるはずであった。アタック開始より6時間15分、到達高度は5776m、山頂まで250mという所であった。私の挑戦はここまでとなる。100m程のフィックスロープを3本程追加し私達のチームもチュルーに足跡を残した。HCに戻りスタッフ全員と握手。テントで待っていた父が「成功、成功」と言って迎えてくれた。涙が出そうだった。
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 この旅のスタッフをまとめ全ての段取りを担ってくれたテンバ・シェルパさんは、日本語が堪能なだけでなく色々な事に気が付きまるで日本人の心を持っているような頼れるお兄さんでした。テンバさんは僅か9歳で村を出て一日40Rsまかない無しのポーターから下積みをはじめ苦労して生活してきたとの事でした。映画「神々の山嶺」の撮影にもコックとして協力した優秀なシェルパさんでした。
コックのノロバードルさんにはおいしい日本食を沢山作って頂きました、お腹の調子が悪く食事を残してしまうことも多く申し訳ない思いでいっぱいになりましたがいつも私達に合う食事を考えて頂いた彼には脱帽です。
4名のポーターの皆さんも言葉は通じませんが人懐っこく私達の生活をいつもサポートしてくれました。優秀なスタッフの皆さんに囲まれ幸せな登山でした。あと馬も合計3頭荷揚げしてくれました。
そして日本より山の選定から多岐に渡る相談にのって頂きこの旅を一から組み上げて頂いたヒマラヤトレッキングサパナの代表にも心から感謝いたします。他の会社では個人手配のヒマラヤをこれだけ入念に相談出来なかったと思います。
帰りの機上からは雲の上に突き抜けるエベレスト・ローツェ・カンチェンジュンガが見えました。また遊びに来いよと言われているようでした。
今回チュルー峰を選んだお陰で登山中、BC・HCも含め自分達の貸切状態という非常に贅沢な山行となりました。人の多い山を選べばルート工作もしっかりとされ登頂率は上がっていたと思いますがどちらを選ぶかは人それぞれだと思います。今後ヒマラヤへ向かう方は何を優先するかで山選びは慎重に行って頂けたらと思います。もし8000m以上の山に少しでも興味があるのであればチャレンジする条件として多くの場合6000m以上の山に登頂しておくのが必須となるようです。
次に私がヒマラヤへ行けるのはいつになるか分かりません。私の夢は一旦次にヒマラヤを目指す方にバトンタッチしたいと思います。またバトンを受けとるその日が来るのを楽しみに。

遠征準備

 2月から必要物資の購入、パッキングに追われていましたがここにきてやっと目処が立ってきました。何しろ旅慣れない為に、全てが0からのスタートで毎日が精一杯の状態でした。

今後、遠征へ向かう方への情報として記録を残して置きたいと思い色々と書いておきます。パッキングの総重量は預け荷物30kg、機内持込7kgとタイ航空の制限一杯までとなりました。海外用登山保険は、保険会社に直接申し込むと5~6万円程掛かりますが日山協会員であれば協会を通じ6800円で救助に関する保険に加入出来ます。

今回無線機は持ち込みませんがJARLに問い合わせた所8400ルピーを支払い現地役所で申請を行えば運用が可能な用です。

以前のブログでネパールには天気予報が無いと記載してしまいましたが、現在は10日先までの予報があるのを発見しました。

薬はダイアモックスとアスピリン(バファリン等)使用。ダイアモックスは高所で朝夕服用。利尿作用がある為テント内での用足し用ボトルも準備。アスピリンは血液をサラサラにし体内に酸素を巡らせる為に使用。痛み止めの量の1/25の量で7~10日程度効果がある様です。痛み自体を麻痺させてしまうと高山病の悪化に気が付かなくなってしまう為、少量の使用とします。

行動食として日持ちのするドライソーセージ、チーズ、ゼリー状飲料、パンの替わりとしてサーターアンダギーを使用。トレッキング中の疲労回復にアミノプロテイン、下痢防止の為にビフィーナSを使用。水の消毒にはピューラックスSを使用。ディート成分入りの虫除け、ヒル・マダニの処置用にエタノールその他ポイズンリムーバー等も準備しました。

先日、再度ミウラドルフィンズで低酸素トレーニング5000、5500、6000m三本を実施してきました。呼吸法を実践したりやめたりのインターバルを実施しましたが、やめた際のリバウンドで血中酸素濃度が50%を切った時にはさすがに身体が石のように固まってしまいました。呼吸法を実践していれば6000mでも問題なく運動出来ました。低酸素ルームを御一緒頂いた女性は今週末にはエベレストへ向かわれるとの事で色々なお話しを聞く事が出来ました。前回のエベレストは8500mで撤退(酸素ボンベ足らず)、アマダブラムは難所を全てクリアしラスト1日歩きで登頂という所で暴風に見舞われ撤退(天気情報読めず)。とにかく登頂にはストロングでインテリジェントなシェルパが必要であるという事をおっしゃっていました。そんな話しを聞く中でシェルパは登頂を約束するようなガイドではないという事を再認識しました。

今回シェルパに登頂させてもらおうとは思っておりません。自分で登攀という気持ちでおりますのでスノーバー、アイススクリュー、懸垂用の土嚢袋、シェルパ用のビーコン、ヒマラヤ地域対応のGPS等もこちらで準備しております。

おんぶに抱っこではなくパートナーとしてシェルパと信頼関係を築き今後もお付き合いをしていく中になれればと思っております。

以外にメンタルの部分でも調整が必要でマリッジブルーという表現が分かりやすいかと思いますが、

やりたい事に向かっている訳ですが不安に押しつぶされそうになる期間が結構長く続きました。しかしこれもメンタルのコントロールについて考え、また調べての繰り返しで最近は随分落ち着き現地で楽しめそうな気分へと変化してきました。

本日T木師匠より連絡を頂きました。出発できれば80%は成功だと。まさに怒涛の準備期間でした。

コラム (フリーとアルパイン)

 アルパインクライミングの難易度を上げていくとフリークライミングの領域になる。アルパインを軽視するような間違った意識がいつの間にか育っていた。ところが今冬槍の穂先を登る際ザイルを出す想定をして思案していたが、支点をどこでとるかに大いに苦戦することになった(イメトレの中でですが)。リングボルトもない、ピナクルも欲しい場所であるわけでもない、ハーケンも打ちたいところで適度な割れ目があるわけでもないだろうし。
そしてこれがアルパインの醍醐味だと気がついた。未踏ルートや支点があらかじめ設置されていない場所を登る際、何処からどう登るかを考える。それは登りやすいというだけではなく、何処で支点をとっていくかも含めてである。よくクラックは岩の弱点と言われる。クラックであればカムやハーケンが使える。この支点を構築しながら登る思考力や技術がアルパインたるものでこの能力を身につけることで、未踏の壁や未踏峰を開拓することが出来る、これぞアルパインクライマーにしか出来ない技だと思う。
フリーは難易度の高いフェイス等(アルパインでは支点を構築出来なかった壁等)をボルトをあらかじめ打っておいて支点構築能力を除いた純粋な登攀だけを追及する、こんな感じで近年発展したのだろう。
(
フリーにも新規ルート開拓はあるし、ナチュプロだけの使用で登る場合はどっちなんとか細かい分類は別としてですが)
クライマーの皆さまはこんなことお気づきかと思いますが、僕は今更ながらに気がつきました。

どちらもおもしろい、優劣のつけようがない。
ヒマラヤから戻ったらどちらにもやりたい目標が有ります!

体力づくり

 ヒマラヤの準備を進めながらも週2~3回のクライミングは継続的に続けていましたが、先日またしても指を故障してしまい愕然、ぼちぼち歩きの練習に集中しろとの事なのか?

という事で本日は歩荷でした。

歩きのトレーニングは、歩荷・走る・坂道走荷・石段登りetc、今まで色んな事を手を替え品を替えやってきました。毎回記録をつけていますが溜まりにたまって12年分の記録となりました。

記録を分析してみると、しんどい思いをした割には効果のなかったトレーニングが多数。しかし一時期歩荷のタイムが短縮出来た時期があるのを発見。心肺機能全般、心肺持久力、呼吸筋力、筋持久力、最大筋力人それぞれ何かが壁となり成長のさまたげとなっていると思われますが、僕に関しては最大筋力がネックとなっていたようです。

さらに歩きのトレーニングも週末の歩荷だけでは成長は緩やかだが、クライミングと同じように頻度を増す事で成長が早まる事に気が付きました。

遠征前までにどれだけ仕上がるか楽しみになってきました。



トレ記録

日程とコース

 

日程とコースを公開致します。

カトマンズからシャンゲまでは公共バス、ここから6日間歩いてBCを目指します。

BCにて順応日を設け、HC-山頂というプランです。天候を考え予備日を複数日設けています。

ガーミンGPSのネパールTOPOを購入しましたのでコースをGoogle earthに落としてみました。便利な時代です。


Gアーストレック

マップ
日程

雪練その2

 

低圧低酸素の実践トレと雪山トレの為、日帰りで中央アルプスへ。
天気は下り坂の様子だがなんとか見通しが効く間に雪練スタート。八丁坂の急登に苦労されている方も多くいました。
ここで呼吸法を試してみる、なかなか良いペースで足が進む。思うように動けると楽しい登山が更に楽しくなる。
しかし下山後は頭痛が。下界では常圧低酸素ルームなだけに気にしていた低圧の影響が出たようだ。これに関しては高所での低圧で脳血管が膨張した後、下山後には常圧で脳血管が収縮する際に痛むようで、無水カフェインが入っている頭痛薬を登山前に飲むと低圧でも脳血管の膨張を抑制する為頭痛が起こらない事を以前富士登山で効果を確認したのを思いだした。

通常フリースはパタゴニアのR1フーディを使用しますが、今回はモンベルで一番薄手のシャミースジャケットを使用、超軽量で極薄なのに厳冬期でもいけそうです。
話はそれますが、千丈敷レストランの鴨南蛮そばは絶品でした。






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雪練

 週末は雪山経験のないパートナーの訓練を兼ねて大山へ行く予定にしていたが、南岸低気圧の影響で全国的に雨の予報。
荒れても雪もしくは小雨なら入山予定でしたが、土曜日は気温も高く山中でも大雨となりそうだった為、日曜入山に変更。
日曜は冬型の気圧配置の為なんとか雨ではなく雪の予報。期待通り風も強く降雪もあり山頂手前では視界10m程とほぼホワイトアウト、絶好の雪山体験日和となりました。
山頂を踏んで間もなく一気に視界が開け日本海まで一望。厳しい状況を越えての登頂にパートナーの達成感もひとしおだったようです。

雲峰で予定されていた7合尾根、ホワイトアウト状態ではやはり厳しかっただろうなと思いました。

ちなみに今回アウターには夏用のレインウエアを使用、予想通りまったく問題ありませんでした。ただし引き裂き強度が低い為、ハードな山行時には対応できない事を付け加えておきます。岩角でビリビリに裂けてしまったら雪山では致命傷になり兼ねないので。

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冒険のパートナー

ヒマラヤへはトレッキング隊として父親を招待しています。
元々はナヤカンガを目標としていた為にランタン谷のトレッキングと高度順応の為に登る標高4550mのキャンジンリに登頂してもらう予定でした。
 山域が変わり高度順応の為の山頂が無くなった為父の目標はハイキャンプ5600mに変更しております。ポストモンスーン期は無雪ですがプレの時期には雪面を歩く可能性が高い為入念に準備を進めていっております。
土素人二人で初めて登った槍ヶ岳。登頂後、僕は筋力不足で足を引きずりながら下山。暗い中を歩き続け上高地に24時にやっとの思いでたどり着き朝まで二人で野宿したのを思い出す。
なお父親には専属のガイドを雇っております。体調により臨機応変に対応しますのでどうぞご心配なきよう。

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ヒマラヤでの天気

 

ネパールでは天気予報というものがないらしいです。日本から向かう大きな遠征隊はヤマテンから情報を得ているようですが個人ではそうもいきません。プレモンスーン期の気象は気圧の谷や尾根が交互に入り天気が変わりやすく悪天になった場合は3~4日続く事もあるようです。日本で見ている天気図も3日も経てば変化していくので似たようなものかと思います。これを念頭に置きながら観天望を組み合わせアタックを掛けようかと日程を組みました。登頂日は最大で5日間準備しました。


日本での山行では素晴らしい情報が入手出来ます。地上天気図と高層天気図を見て低気圧や上空の寒気の張り出し具合により山での天気が荒れるのかある程度の予想が出来ます。年末の槍ヶ岳では寒気の張り出しが大きく登頂日以外は荒れる予定でしたが、実際は強風のみで雲が少なく感覚的には登山に適した天気に思えました。この雲の量についてもGPV気象予報にて確認出来る事が判りました。冬山へ向かわれる方は是非参考にされて下さい。
GPV

グランフロント大阪へ

 

グランフロント大阪にある好日山荘にて低酸素トレーニングを行う。ここでの設定は富士山の高さまで。高所テストや呼吸法の指南はないが低酸素ルームに入るとミウラドルフィンズと同じ感覚を体験できた。心拍数が160まで上がり汗だくになりながらトレーニング終了。近所でこんなトレーニング出来るって恵まれてますね。
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ギャラリー
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